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静岡地方裁判所 昭和43年(行ウ)11号 判決 1972年9月27日

原告 尾川安雄 ほか二名

被告 浜松税務署長

訴訟代理人 岩渕正紀 ほか九名

主文

被告が原告らに対し昭和四二年一月一八日になした、昭和三九年二月分の入場税額を六、六一〇円とする入場税決定処分およびそれに対する無申告加算税額を六〇〇円とする入場税無申告加算税賦課決定処分、はいずれも取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

(一)  原告ら

主文同旨の判決。

(二)  被告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

二、原告らの主張

(一)  昭和三八年一二月から昭和三九年三月まで静岡県浜名郡庄内村に「新制作座を観る会」 (以下「観る会」という)が存在した。

原告ら三名はいずれもその会員であつた。

(二)  昭和三九年二月二五日劇団新制作座は庄内村字村櫛の公民館において「青春」と題する演劇を上演した。

(三)  被告は、右演劇会を「観る会」の原告ら三名が共催したものであるとして、原告らに対し昭和四二年一月一八日に主文掲記の入場税決定ならびに無申告加算税賦課決定の処分をした。

原告らは右処分に対し異議の申立、審査の請求をしたが、いずれも棄却された。

(四)  しかし右課税処分は違法な処分であつて、取消されるべきものである。なぜならば原告らは前記演劇会の主催者ではないからである。

そもそも当初は新制作座のセールスマンである平沢という人が原告坂田を訪ねて、庄内村で同劇団の演劇を上演することに協力してほしいと依頼した。坂田はその趣旨に賛同し、村に住んでいるさまざまな人たちに相談したところ、これらの人達が賛成してその演劇を観ることになり、ここで「新制作座を観る会」というものが結成された。けれどもこの「観る会」の実態は規約もなく、代表者も存在しないもので、きわめて漠然としたものにすぎなかつた。むしろ婦人会、青年団、勤労者協議会、商工会、その他の有志たちが集つて、単純に芝居をみるためにお互に協力しようということになつたものとみられる。そして人々の自発的な話し合いによつて、ある者は婦人会に、ある者は勤労協に呼びかけるなどの役割を分担した。

原告らは「観る会」の会員として働きはしたが、そのしたことは右のようなことである。原告らと同じ程度の役割を果したものは他にもたくさんいるのである。原告らは主催者であると認められる程のことはなにもしていない。

さらに次の点からも原告らは主催者ではない。すなわち、新制作座は右公演に当つて演劇内容のパンフレツトおよび切符をあらかじめ用意し、二五〇円という入場金額も同劇団の方で決定し、「観る会」に対し総収入金額の希望も申出てきた。そこで原告ら有志は自発的に商工会に広告を依頼するなどできるだけ劇団の収入金額が多くなるように努力し、このようにして集つたお金は全部上演当夜劇団側にわたされた。その金もそれぞれの団体などがとりまとめて集めたものである。右の実態をみれば、催物の主催者はむしろ新制作座そのものであつて、原告らはそれに協力し、その下働きをしたにすぎない。

がんらい入場税法で催物の主催者とは、自己の計算において催物を上演し、その対価として入場者から入場料金をとる者をいうのであつて、少くとも劇団と上演契約を結び、入場料金を決定し、これを徴収する。その催物による損益はその者に帰属する。ところが原告らにはこれらのことがない。

(五)  (被告の主張について)被告主張(二)の原告らの行為のうち、原告藤田が公民館の使用許可申請をしたことは認めるが、その余は、否認する。

被告主張(三)の入場人員数は否認する。上記演劇会にあたり「観る会」が一般二五〇円、団体学生一〇〇円の会費を集めたが、それは被告がいう入場料金ではない。

三、被告の主張

(一)  原告らの主張(一)の事実は知らない。同(二)と(三)の事実は認める。

(二)  (原告らは主催者である。)

右のとおり昭和三九年二月二五日村櫛公民館で新制作座により青春という演劇が上演された。

それは表面上は「新制作座を観る会」によつて催されたことになつているが、右「観る会」なるものは実体も存在も明らかでなく、規約や代表者の定めもなく、いわゆる人格なき社団として催物を主催するに足りる実質を具えた団体とは認められない。むしろ被告の調査によると次の諸事実が判明した。すなわち、

1.原告藤田は、上演会場である村櫛公民館を借用するため、同公民館長に対して会場使用許可申請をし、会場を借用していること。

2.右会場に多数の入場者を誘致するため、原告坂田は庄内村教育委員会に本件公演の後援を依頼したり、引佐高校庄内分校の生徒の団体鑑賞を勧誘し、同藤田は村櫛婦人会等に働きかけ、同尾川は庄内勤労老協議会の役員等に働きかけたり前売入場券の売りさばきを行い、三人ともそれぞれ入場料金を領収していること。

3.原告らは本件演劇会の開催に際して、その宣伝のチラシを作つて配布した。そのチラシには地元の商店から広告料をとつてその広告をかかげた。

これらの事実からみると、右演劇会について、原告らは会場の借入れ、入場者の誘致、入場券の発行、入場料金の徴収などをなし、共通の日的達成のために分担を定めて行動し、結局右催物を実質的に主催したと認められる。「観る会」は原告らの主張によつても数ケ月しか存続しなかつた。それは原告らが多くの観客を集めるための便宜上用いた名称にすぎず、実体は原告らそのものにほかならない。

(三)  (課税処分)

原告らは、上記のとおり、前記演劇会を主催し、一般二五〇円、団体学生一〇〇円づつの入場料金を徴収した。右一般料金による入場者は二一九人、団体学生料金による入場者は一八〇人におよんだ。

右演劇会は、入場税法第一条第一号に掲げる場所における同法第二条第一項所定の催物に該当するので、その主催者は入場者から領収する入場料金について入場税を納付する義務があるところ、本件公演に関して同法第二一条第一項所定の開催申告がなされなかつたので、被告は入場税法第四条、国税通則法第二五条および同法第六六条第一項により、次のように計算の上本件処分をした一ものである。

課税標準 六六、一〇〇円(入場料金の総額の一一〇分の一〇〇の金額)

入場税額 六、六一〇円(課税標準額の一〇〇分の一〇の金額)

無申告加算税 六〇〇円(入場税額の一〇〇分の一〇の金額)

なお本件の原告らのように、数人が共同して催物を主催する行為は、国税通則法第九条にいう共同事業にあたると解されるから、原告らは右の共同事業たる本件演劇会に課せられる上記入場税等を連帯して納付する義務がある。仮りに催物が共同事業に該当しないとしても、入場税の実質的負担者は入場者であり、主催者は、利益を得たかどうかに関係なく、画一的に税ぬきの純入場料金を課税標準として課税されるもので、このような入場税の性質に照らして複数の主催者相互間の納税義務の関係を考えると、そこには経費負担や利益に応じた納税義務とか、主催者の数で頭割りした納税義務というようなものは観念する余地がなく、結局真疋か不真正かは別として連帯の納税義務しかあり得ないのである。

よつて原告らは各自連帯して前記の計算による入場税および無申告加算税を納付すべき義務を負うもので、本件処分は適法である。そして仮りに原告らの外にも、原告らと共に主催者の役割を果した者が存在したとしても、連帯納税義務の性質上、本件処分の適法性は何らそこなわれるものではない。

四、証拠<省略>

理由

一、原告らの主張(二)および(三)の事実は、当事者間に争いがない。

二、被告は劇団新制作座による演劇「青春」の村櫛公民館における上演が原告らによつて主催されたものであると主張するので、先ずその事実関係について考える。

<証拠省略>を総合すれば、次の各事実が認められる。

(一)  原告ら三名は旧静岡県浜名郡庄内村字村櫛(現在浜松市村櫛)の住民であつた。

昭和三八年一一月ごろ、同じ庄内村の高林正義を劇団新制作座のセールスマン平沢某が訪ねてきて、同劇団の演劇青春を昭和三九年二月に浜松市などで上演するが庄内村でも上演できるように協力してほしいと要請した。それは高林が浜松演劇観賞協議会の会員であつたからであろう。高林は同じ協議会の会員である原告坂田にそのことを伝え、その賛同をえた。そして二人は村内の青年団、勤労者協議会(会員四〇〇人位の同村勤労者の親睦団体)、商工会、地方自治研究会(会員一〇人位の研究会)等に呼びかけたところ、いずれも上演に賛成した。そこで呼びかけた二人やこれら団体の主だつた人達が集つて、それぞれ手わけして上演会場を借りたり観客を集めたりすることになつた。原告ら三人はいずれもこのグループの一員である。そしてこの人達は右目的のため便宜な組織として昭和三八年一二月「新制作座を観る会一を作つた。演劇をみる人は観る会の会員となり、会費を払つてみる建前であるが、「観る会」は事実上右のグループの集りで、一応高林正義が副会長、原告坂田が事務局長、原告藤田が会計、その他原告尼川も幹事の一員ということになつた。会長は都合で空席のままで終つた。「観る会」には規約はなく、上記役職も実体を伴わなかつた。副会長といつても会務を統括することもなく、事務局長も劇団との連絡係にほかならず、それも原告坂田が庄内村役場に勤めていて連絡に便利であるということで割当られたもので、会計も格別出納の責任を負つたわけではない。(なお「観る会」には会計帳簿はなかつた。)「観る会」はもつぱら新制作座の要請にこたえて、会場の借入れや観客を集めること(もつとも会員をつのるという形式をとる)を目的とし、そのように働いた。

(二)  「観る会」に集つた上記グループの入達は何回も会合して打合せをした。その席には劇団のセールスマンも出席していて、上演の費用の話を持出した。劇団は上演による収入として二〇万円から三〇万円位得たいと希望した。しかし具体的な金額は決めなかつた。そして劇団は観客からは二五〇円づつ集めるようにしたいといい、上演の日時も劇団の日程に合せて決められた。劇団は切符<証拠省略>も用意してきたし、パンフレツト<証拠省略>も作つて持つてきた。もつとも切符に上演の日時、場所などを印刷することは「観る会」がした。

上記グループは手わけをして、上演する場所として村櫛公民館を借りうけ、教育委員会、商工会、婦人会に後援を依頼し、引佐高校庄内分校の団体観劇を交渉したり、婦人会などで観客(会員)をつのり、あるいは宣伝のチラシを作つたりした。そして上演の当日は会場の整理や受付などをした。しかしこれらのことは決められた役割があつてしたというのではなく、例えば会場を借りたのも原告藤田が公民館の隣りに住んでいたので便宜同人がしたまでのことで、他も同様である。

観客(「観る会」では会員という)からは各団体ごとにお金(会費といわれる)が集められ、それが上演の日の夜全部そのまま劇団に渡された。「観る会」が支出した印刷費はその上で劇団から受取つた。「観る会」としては、劇団の収入ができるだけ多くなるように、前記の活動をし、また集つたお金をそつくり渡したのであるが、その額は二〇数万円に止まつた。

「観る会」は上演を終つて昭和三九年三月自然解消した。

(三)  その間、原告坂田は教育委員会や商工会の後援をとりつけ、引佐高校庄内分校の団体観賞をとりきめ、同校の中園先生に宣伝用チラシの広告主を紹介してもらつたり、切符に上演日時などを印刷する手配をした.

原告藤田は公民館を借りる交渉をし(このことは当事者間に争いがない)、婦人会その他に観劇を働きかけ、チラシの広告主をさがし、当日会場の整理をした。そのほか会計係ということで、劇団にお金を渡すとき他の数名と共に立合つた。しかし特にお金のとりまとめをしたわけではない。(なお公民館は村民なら誰でも自由に使えるのが建前である。)

原告尾川は、自分の経営する塾にくるものや婦人会に働きかけて観客をつのつたほか、当日会場で受付や下足の整埋をした,以上の事実が認められる。<証拠省略>の記載は<証拠省略>に対比し信用しない。その他に上記認定に反する証拠はない。

被告は原告らの行為について、例えば原告尾川が勤労協に働きかけたとか、原告らがチラシを作つて配布したとかいうが、上記認定以上のことは、これを認めるに足りる証拠がない。

三、以上に認定したところによつて考えると、「観る会」は本件公演の主催者となしうるような社団性が認められないけれども、だからといつて被告のように原告ら個人が主催者に当たるということも、十分な根拠がない。

催物の主催者とは、催物の事務を全般的に統括する実質上の支配力を有し、入場料領収について直接の権限と責任とを有する者をいうと解すべきであるが、原告らがそのような主催者としての主体性をもつてふるまつたとは認められない。原告らのやつたことはたかだか「観る会」に集つた何人かのグループの一員としてのそれにすぎない。ことに原告らが出演者である新制作座との間に出演契約の当事者として対立する立場にあつたとは認められない。すなわち原告らが主催者として新制作座に対し契約上の債権債務関係を有していたものとはいえす、むしろ原告らは単に新制作座の協力者として、本件公演の実現のための宣伝、観客の誘致、入場料金の取りまとめ、会場の設営整理等を担当したにすぎず、しかもその労力は全く無償で好意的に提供されたものである。入場料金はたしかに一旦「観る会」の手を経て新制作座に渡されたが、しかしそれは、はじめから劇団に当然帰属するものとして扱われ、一旦原告らに帰属した上で、改めて出演料として支払われたのではない。そもそも出演料を定める契約がなく、観客の多少を問わず、現実の収入金額の全部が劇団に帰属し、そしてただそれだけが劇団の出演の対価となる建前であつて、そのとおり実行されたのであり、言いかえれば催物の開催による収支は、直接劇団の計算に帰したわけである。そうすると本件演劇会の主催者たる役割は、出演者である新制作座自体によつて兼ねられていたものとみるのがむしろ妥当であつて、原告らは前記認定のような活動をし、ことに会場借上の名義人となつたり、団体入場に関する交渉をしたり、入場料の領収保管を担当したりして、通常主催者によつて行われるような行為の一部をしてはいるけれども、それらの行為は新制作座のためにその一下働きとしてなされたもので、これによつて原告らを主催者に当るとすることはできない。

四、そうすると被告が原告らを主催者と認定してなした本件処分は、その前提を欠き、課税要件なくして行われた違法な処分といわなければならない。

よつてその取消を求める原告らの請求は、その余の争点に論及するまでもなく、これを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水上東作 中島尚志 山田真也)

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